昭和の時代のワンショット

vol.36 グラフィティ あ・つ・ぎ-03

昭和48年頃の半原にあった撚糸工場(小島末儀氏工場)。八丁式撚糸機を扱う人の姿が見られます。


昭和48年頃の半原にあった撚糸工場(小島末儀氏工場)。八丁式撚糸機を扱う人の姿が見られます。
厚木市街から北北西に向かう412号線を車で約30分、愛川町半原があります。平山坂下を左に進むと記者が長年気になっていた『糸の町半原』の看板が道沿いに立っています。

半原が撚糸※産業を導入した理由

 厚木市街からちょっと遠出をして愛甲郡愛川町半原を尋ねました。412号線に立つ看板『糸の町半原』に惹かれ、辿り着いたのは愛川繊維会館。そこで半原が撚糸業で栄えた町であったことを知りました。ちょっと昔にタイムスリップしその歴史を 探ってみました。
 群馬県桐生地区で桐生産博多織に使用された八丁式撚糸機(糸を撚る機械)が半原に導入されたのは、200年も前の1807年とのこと。半原には農耕地が少なく渡せた土地が多く、十分な作物を得ることができないこと、農業以外に仕事を持たずには暮らしがたたず、特に烏山藩の具祖の取り立ても厳しかったことから一年中稼働できる自家職業として撚糸業が導入された理由。好都合だったのは半原が盆地で湿気が多く生糸には絶好の地であったこと、撚糸に欠かせない動力として中津川の水が豊富であったことなどがあげられます。当時は人力で八丁式撚糸機を回していましたが、1843 年頃中津川の流れを利用し、多くの水車が作られ動力として活用されていました。 ※ ねんし:糸をよる

宮大工の技

 半原では昔から堂宮(社寺建築)の製作にあたる宮大工がおり、半原の名を全国的に広めていたとのこと。そこに八丁式撚糸機が伝えられると技術の優れた職人がその修理製作にあたり、堂宮大工から機械大工に分かれ専業化したのは明治維新の頃だったと言われています。水遊びや登山といったフィールドとして近隣エリアから人気スポットの半原に、歴史にみるような素晴らしい技が脈々と築きあげられていたことを史実として知っておくのも大切なことだと思います。

愛川繊維会館(レインボープラザ)について

 半原撚糸は昭和30年代には生糸で全国の80% を占める一大産地として名を馳せていました。半原撚糸協同組合は明治35年に322社で設立され、ピーク時には500社以上が営みを続けていましたが、最近は中国、ベトナムなどの影響が厳しく、現在では数社足らずとなっています。そんな環境の中、 繊維産業の活性化、復活、伝統産業の継承などを目的に、様々な取り組みを行っているのが繊維会館です。藍染め・草木染め、紙漉き(海底和紙:おこぞわし)、手織り、組み紐などの体験学習が行われ年間2万人の参加者が集う人気の工房となっています。館には古い繊維機械があり昔をしのぶことができます。皆さんも車でちょっと立ち寄ってみてはいかがでしょうか? 地域を知る、歴史を見る、家族で有意義な一日を過ごして欲しいと思います。
資料出展:「百年史」半原撚糸共同祖合発行
[HP検索] 愛川繊維会館

写真をお借りした小島秀也さん

小島さんは84歳。現在も撚糸業を営む傍ら、昭和23年から趣味の写真を撮り続けると同時に、埋もれた昔の写真の発掘にも寄与されている素敵な方です。宮ヶ瀬湖に 沈む前の村や谷や川の写真、半原に留まらず厚木の昔の写真も膨大な数振影をされています。写真展やスライドショーとして忘れ去られた風景や営みを、生トークを交え学校や公民館で元気に開催されています。2017年にはラビンプラザでスライドショーを行うとのこと。知らなかった地域のことや懐かしさを感じる写真にあなたも触れるチャンスがありますね!

スライドショー開催2017年5月28日(日)午後〜。
[検索]愛川町ラビンプラザ

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